2011年2月27日,東京大学鉄門記念講堂において,シンポジウムが開催された(PDF)。これは,「認知症末期患者に対する人工的な栄養・水分補給法の導入・差し控え・中止に関するガイドライン作成へ向けた検討」を課題とした,日本老年医学会事業(平成22年度厚生労働省老健局老人保健健康増進等事業)の一環である。第1部が基調講演および調査報告,第2部がパネルディスカッションという2部構成で,登壇者は医師,看護師,社会福祉法人代表者,人文社会系研究者,弁護士など,多職種にわたった。また,同事業の『臨床倫理・意思決定支援ツール』作成ワーキング・グループ(東京大学大学院人文社会系研究科教授・清水哲郎氏ほか)がつくった『本人と家族のための意思決定プロセスノート(試作版)』が配付された。
ここでは,医師に焦点をあてレポートした。(編集部)
基調講演「認知症高齢者の終末期の医療およびケアをめぐる諸問題」を行った飯島節氏(筑波大学大学院人間総合科学研究科生涯発達科学専攻教授)は,昨今の医療費抑制を求める動きに対し,日本の医療費が欧米諸国と比べ低いことを指摘した。また,約100兆円へと急増した社会保障給付費の内訳で大きく関与したのは年金であり,医療費はほぼ横ばい状態であることを強調した。医療費全体で終末期医療の占める割合が高いと問われている現状については,終末期医療のなかで高齢者の寄与は少ないと述べ,高齢者の終末期においては適切な医療行為が行われていることを示唆した。
わが国では,摂食困難な場合,標準的に経管栄養法あるいは静脈栄養法が施行されてきたが,経皮内視鏡的胃瘻造設術(PEG)が進歩し胃瘻造設が容易になって以降,「食べられなくなったら胃瘻へ」が一般的な選択となっている(日本老年学会・日本老年医学会理事長・大内尉義氏)。胃瘻造設は年に約10万件,受療者はすでに30万人以上ともいわれ,保険適応の是非が将来問われる可能性も指摘された(後述,鳥羽氏)。
認知症の主な原因にはアルツハイマー病と脳血管性障害がある。摂食障害が問題となるのは,障害が比較的早期に現れる後者の脳血管性障害である。
国立長寿医療研究センター病院長・鳥羽研二氏が述べたPEGの問題点は,胃瘻造設を行った医師が,その患者の終末期を知らないため,無用な治療が行われる可能性のあることである。なぜなら,胃瘻造設を行うのは救急医などの急性期を担当する医師で,その後のケアは介護保険施設や在宅で行われていて,終末期は慢性期を専門とする医師が診ているからである。PEG造設後の,皮膚のただれ,もれ,潰瘍をはじめ,誤嚥などの終末期像に接する機会が,救急医にはほとんどない。そのため,全身の衰弱から全介助が必要となる死の数日前に,「食べられないから」と胃瘻を造る医師はいないはずであるが,若い医師らがこのキューブラ・ロスがEnd of Life Careが必要だとする末期を見分けられない可能性も懸念されている。
PEG造設以降の予後として,1年生存率は,欧米では40%に対し,日本では66%と高い。予後の相違は,造設後のケアの違いと考えられ,わが国のケアが適切になされていることがうかがわれるという(鳥羽氏)。看護や福祉の担当者からは,PEGについて,家族や介護者の負担が造設後に増大し支障が出ることを理由に,医師によるインフォームドコンセントへの疑問が多く述べられた。これは,『本人と家族のための意思決定プロセスノート』の必要性を強く裏付けている。
会田薫子氏(東京大学グローバルCOE「死生学の展開と組織化」)らは,日本老年医学会の医師会員(N=4506)に郵送によるアンケート調査を行い,1554票(有効回答率34.7%)を分析した。回答者の94%が,人工的水分・栄養補給法(artificial nutrition and hydration:ANH)導入の方針決定に際し困難さを多少なりとも感じていた。その内容(複数回答)は,「本人意思が不明」が73%,「経口摂取継続に伴う危険(肺炎・窒息)」が61%,「家族の意思が不統一」が56%,「ANH差し控えに関する倫理的問題」が51%,「ANHに移行する判断基準」が45%,「ANHを行うことに関する倫理的問題」が33%,「ANH差し控えの法的問題(刑事)」が23%,「民事訴訟の懸念」が14%であった。
ANH導入後の中止経験を44%の医師がもっていた。中止理由(N=479,複数回答)は,「下痢や肺炎などの医学的理由」が68%,「患者家族がANHの中止を強く望んだ」が43%,「医師として,ANHの継続は患者の苦痛を長引かせると判断」が23%,「医療チームとして,ANHの継続は患者の苦痛を長引かせると判断」が21%などであった。いったん導入したANHを中止することに関し,全体では,「倫理的に問題がある」が21%,「法的に問題がある」が29%,「マスコミが騒ぐ」が33%という回答であった。ANHの差し控えは摂食困難な患者を餓死させることと同じかという質問には,約40%が肯定した。
アンケート結果の報告は,点滴しながら自然に委ねる末梢点滴の意味にも言及している。点滴ボトルのさがった風景が家族と医療,介護スタッフの情緒をケアし,患者家族とスタッフの心理的負担を軽減していることがうかがえるという。すべてのANHを差し控える場合に比べて,「家族の心理的負担軽減」が69%,「医療スタッフの心理的負担軽減」が57%,「患者にとって医学的に必要」が38%,との結果(複数回答)であった。イギリス,米国,オーストラリア医師会の倫理基準では,末梢点滴は最期までの期間を延長するため,患者本人に不利益をなすとされ,倫理原則に反するとみなされている。パネルディスカッションで鳥羽氏は,末梢点滴はスパゲッティ症候群の本数を減らしただけで,終末期に適切なケアは点滴ではないと発言した。
今回のシンポジウムでは,終末期に臨み,患者や家族のみならず,医療スタッフ・介護スタッフにもとまどい・混乱があり,各職種がそれぞれに模索していることが確認された。また,認知症末期患者は,がん末期患者や急性疾患末期患者とは異なる問題点があることが示された。わが国における終末期医療・終末期ケアの確立に向けて,「認知症末期患者に対する人工的な栄養・水分補給法の導入・差し控え・中止に関するガイドライン」の作成は重要な第一歩となる。作成過程には,パブリックコメントの募集も含まれている。一般の人も含めて,多くの意見が寄せられ,国民全体の議論となることが期待される。