2011年4月13日,グラクソ・スミスクライン株式会社によるメディアセミナーが開催され,榛沢和彦氏(新潟大学大学院 医歯学総合研究科 呼吸循環外科学分野)と中村真潮氏(三重大学大学院 医学系研究科 病態制御医学講座 循環器・腎臓内科学)が登壇した。本欄では,新潟県中越地震・中越沖地震の両被災者の肺血栓塞栓症を検討し東日本大震災でも検診を行った榛沢氏の講演から,被災に備えて参考にすべき点をレポートする。
“エコノミークラス症候群”という名称で一般の人にも知られる肺血栓塞栓症は,下肢の深部静脈に血栓が生じ,それが血流によって肺に運ばれ,肺動脈が閉塞する疾患である。症候性肺血栓塞栓症は,症候性の深部静脈血栓症(DVT)の0.1%で発症するとされ,下肢の血栓が生じる部位として90%以上をヒラメ筋が占めている。血栓を生じさせる主な原因には,①窮屈な姿勢,臥床,不動などによる血流の悪化,②水分制限,絶食,飲酒などによる血液の濃縮(脱水),③足の外傷(打撲)などによる血管の損傷(負担増)があげられる。
榛沢氏は,中越地震(2004年10月23日)発生後に肺血栓塞栓症で妻をなくした被災者の「知っていればよかったんだが」という言葉が忘れられないという。トイレに行きにくいなど,他の人への気兼ねなどから避難所では水分摂取を控える女性は少なくない。肺血栓塞栓症は,適切な知識があれば,被災者自らが防げる病気であることが強調された。
中越地震1年後の1500人に行った検査では,初めて検査を受けた被災者の7.8%にDVTを認め,地震対照地(新潟県阿賀町)のDVT頻度1.8%と比較して,地震の影響が有意であることが裏付けられている。
榛沢氏は,当初は車中泊によるDVT発症に注目していたという。中越地震では,10万~30万人が一時的でも避難生活を余儀なくされ,5万人以上が短期でも車中に避難し,3万人以上が車中泊を経験したと推定されている。その結果,少なくとも11人が症候性肺血栓塞栓症を発症し,4人が死亡した。榛沢氏が死亡者4人を含め7人を検討したところ,全員が女性で,年齢は43歳,48歳,50歳(2人),60歳,76歳,79歳と,高齢者に限らなかった。睡眠薬や精神安定薬の使用者が多く含まれ,死亡者は43歳,48歳,50歳(2人)であった。車中泊の期間は5人が2~6日間と,連泊の危険性が示された。
だが,DVT頻度に車中泊の影響がみられたのは地震後1年以内だけであったという。1年後のフォローアップ検査では,車中泊のみならず,避難所生活をした被災者にも多数のDVTを認めている。中越沖地震(2007年7月16日発生)では,中越地震の教訓から車中泊が回避されたにもかかわらず,2年後以降のDVT頻度は中越地震のそれと差がなかった。
「2年後以降のDVT頻度に差がないことは,両地震に共通した避難生活の問題点が存在する」と,榛沢氏。
日本人より欧米人のほうがDVT,肺血栓塞栓症が多いことはよく知られている。しかし,欧米の避難所で肺血栓塞栓症が問題になったのは1940年のロンドン大空襲の時だけである。原因が雑魚寝であるとの報告を受けた行政は,翌年から簡易ベッドを導入し,DVTを減少させたという。
榛沢氏は,床から冷気が直接身体に及ばず,トイレの際に他人の布団を踏むこともなく,荷物を置くスペースを下に確保できる簡易ベッドの使用,さらには今後の災害を想定した簡易ベッドの備蓄を強く推奨する。
中越地震の被災地では11000人以上の症候性DVTが発症したと推定され,無症候性のDVTの発症頻度は,症候性DVTの5~10倍と考えられている。被災者のフォローアップ検診では,DVT頻度(初めて検査を受けて発見された頻度)は,震災直後は30%以上にものぼり,1か月後に10%程度に低下したものの,5か月後に20%以上に再び上昇した。中越沖地震では,4か月後にDVT頻度が再上昇している。
この結果は,他の厚生労働省班研究によって報告された中越地震5か月後の歩行機能低下とも共通している。生活環境の変化とともに,ADL(日常生活動作能力)や活動性の低下がDVT増加の一因であることが想定された。
榛沢氏は,中越地震・中越沖地震のほか,能登半島地震(2007年3月25日発生),岩手・宮城内陸地震(2008年6月14日発生)の被災者にも検診を行って,避難所のみならず,仮設住宅でも独居高齢者などにDVTが発症していることを確認した。
榛沢氏は,「震災復旧が一段落し,被災者の精神的緊張が低下して,先行き不安からうつ傾向になり,活動性が低下するのが原因」と推測し,DVT予防には,心のケアや就労支援など,早期に被災前の日常生活を取り戻す支援が必要であると述べた。
中越地震6年後の検診では,高血圧の既往,および検診時の収縮期血圧が146mmHg以上の高血圧者でDVTを多く認めた。この結果は,避難所において,高血圧の既往者や血圧測定時の高血圧者は,DVTへの注意が不可欠であることを示している。
榛沢氏は,東日本大震災が発生した際に,DVTの予防に効果がある弾性ストッキング4万足を被災地に届けた。検診時には,特に津波に巻き込まれた被災者は,下肢に打撲や外傷を負っていることが多く,DVTの発症リスクがより高まっていることを確認した。医療スタッフは,被災者からの訴えがなくても,足が腫れていたり,活動性が低かったりする場合には,声をかけるとともにDVTに考慮して診療を行うことが必要であるという。
震災後のDVTは,慢性期の脳梗塞発症との関連も示唆されている。震災2年以降,DVT頻度の低下は認められるものの,6年以降でも5%以下にはならず,DVTは遷延しやすいことが示されている。二次的健康被害も軽減する可能性のあるDVT予防は,避難生活の在り方に強く関わっていた。