矢坂正弘氏 |
直接作用型経口抗凝固薬(DOAC)は,優れた抗凝固作用と安全性を示すが,出血時の中和剤がないことが課題とされてきた。DOACの1つであるダビガトランを製造販売する日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社は,ダビガトランの開発中から並行してその中和剤の開発を進めてきた。2015年には,米国,欧州において,世界で初めてとなるDOAC中和剤の製造販売を開始し,2016年9月には日本における製造販売承認を取得した。2016年11月15日,その発売記者説明会が開かれ,国立病院機構九州医療センター脳血管センターの矢坂正弘氏が「DOACに対する世界初の中和剤と抗凝固療法の現在」と題して講演を行った。ここではその内容をまとめた。
■心原性脳塞栓症に対する抗凝固療法の重要性
心房細動がリスク因子となる心原性脳塞栓症は,ひとたび発症すると症状が重篤で予後も不良である。現在脳卒中に対しては血栓溶解療法や血管内治療が行われるが,心原性脳塞栓症では強い虚血や脳内出血が起こる場合があり,治療が困難な例も少なくない。脳卒中の病型別の5年生存率を時代ごとに比較した久山町研究のデータでは,時代が進むに従いラクナ梗塞,アテローム血栓性脳梗塞では改善がみられるのに対し,心原性脳梗塞症の生存率はほとんど変化していない1)。心原性脳塞栓症は,医療技術が進んでもいかに救命の難しい疾患であるかを表しているといえよう。そこで重要となるのが抗凝固療法による予防である。
心房細動患者において,抗凝固療法を行わない場合の脳梗塞発症率が年率4.5%であるのに対し,ワルファリンを導入した場合の発症率は1.4%,その抑制率は約70%と報告されている。しかし,ワルファリンは食物や他の薬剤との広範な相互作用があり,また頻繁な採血検査によるきめ細かな薬剤量の調整が必要となる。さらに,管理が十分であった場合でもしばしば脳や消化管からの大出血が起こる場合があり,使用が難しい薬であるといえる。そこで登場したのが「easy to use」をコンセプトに開発されたDOACである。
■「easy to use」に近づいたDOAC
2011年,最初のDOACとしてダビガトランが発売された。非弁膜症性心房細動患者を対象に,ダビガトラン110mg 1日2回,同150mg 1日2回の有効性,安全性をワルファリンと比較したRE-LY試験では,有効性主要評価項目(脳梗塞/全身性塞栓症)において,ワルファリンに対するダビガトラン110mg 1日2回の非劣性,同150mg 1日2回の優越性が示された。また,安全性主要評価項目の1つである頭蓋内出血の発症率は,ワルファリンにくらべダビガトラン両用量ともに有意に少ないことが示された2)。さらに,アジア人と非アジア人とで出血性脳卒中の発症率を比較すると,アジア人のワルファリン群では非アジア人にくらべ2倍以上であったが,ダビガトラン群ではその差が小さかった3)。つまり,日本人は出血事象が少ないというDOACの恩恵を大きく受けられるといえる。加えて,DOACはひとたび出血が起こった場合でも,ワルファリンにくらべ血腫が大きくなりにくい可能性があることが複数の論文で報告されている。ワルファリンにくらべ食物や他の薬剤との相互作用が少なく,効果発現が迅速であり,頻繁な採血が不要といった特徴からも,DOACはワルファリンより一歩前進した薬剤であるといえるだろう。
しかし,出血イベントが少ないとはいえ,DOAC使用中に死に至るほどの大出血が起こる場合もある。そこで,凝固作用を速やかに是正する中和剤が求められてきた。
■中和剤の登場で安全性がより向上
2016年9月,ダビガトランに対する特異的中和剤,イダルシズマブ(商品名「プリズバインド」)の日本における製造販売が承認された。イダルシズマブは,トロンビンに対するダビガトランの結合親和性の約300倍の強さでダビガトランと結合するヒト化モノクローナル抗体である。1バイアル2.5gの製剤を2本,合計5gを静脈内投与する。ダビガトラン使用中に出血を起こした症例,および緊急の侵襲的処置が必要な例を対象に,イダルシズマブの有効性,安全性を検討した国際共同第III相症例集積試験(RE-VERSE AD試験)では,投与直後からダビガトランによる抗凝固作用はほぼ完全になくなり,その効果は24時間持続することが示された。中和剤には,迅速に効く,完全に効く,効果が持続するという3つの要素が求められるところ,イダルシズマブはこれらの要素をすべて満たしているといえる。なお,抗凝固療法は継続が必要であり,可能な場合は再開することが望まれる。イダルシズマブでは投与から24時間後にダビガトランを再投与すると,イダルシズマブを投与しなかった場合と同様のダビガトラン血中濃度が再現されることも示され,イダルシズマブ投与前と同様の作用を期待できることも明らかとなった。
矢坂氏は最後に,中和剤を車のエアーバッグに例えた。「エアーバッグがなくてもほとんどの人は事故に遭わず車を運転することができるが,なかにはエアーバッグがあったために助かる人もいる。中和剤が存在することは,DOACを選択するうえで考慮すべき材料の1つになるだろう」と述べ,講演を締めくくった。
1) Kubo M, et al. Neurology. 2006; 66: 1539-44.
2) Connolly SJ, et al. N Engl J Med. 2009; 361: 1139-51.
3) Hori M, et al. Stroke. 2013; 44: 1891-6.