デジタル・ネイティブの育ち方を取材した『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』や日本初の民間小児ホスピス「TSURUMIこどもホスピス」を取材した『こどもホスピスの奇跡』で話題を呼んだノンフィクション作家の著者が子どものQOL向上で特筆すべき活動をしている施設への取材を通して、医療や福祉の在り方を問います(次回更新で過去の連載記事は読めなくなります)。
1977年生まれ。アジアの障害のある物乞いを扱ったノンフィクション『物乞う仏陀』でデビュー。その後、国内外の貧困、病気、犯罪など多様なテーマで作品を多数発表。難病の子供のQOLをテーマにした『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。現代の若者の生きづらさを言葉から見つめた『ルポ 誰が国語力を殺すのか』、特別養子縁組制度を作った菊田昇医師の評伝小説『赤ちゃんをわが子として育てる方を望む』など。
日本各地の子ども病院を回っている中で、よく見かけるポスターがあった。院内で開催するプラネタリウムのイベントに関するものだ。
当初はその病院が行っているレクリエーションの一つくらいにしか思っていなかったが、何度も同じようなものを目にしたことから、ある日、立ち止まって読んでみた。すると、「星つむぎの村」という一般社団法人が行っている事業であることを知った。
同団体は「病院がプラネタリウム」と称して、日本各地の病院にプラネタリウムの機材を運び込み、入院をしている子どもたちに星空を見せる取り組みをしているらしい。
たしかに闘病中の子どもは病室に閉じこもっているせいで、なかなか星を見る機会がない。中には生まれてからずっと病院ですごしおり、星を一度も目にしたことがないという子もいる。たとえバーチャル体験であったとしても、彼らに満天の星を眺めてもらえれば貴重な体験になるだろう。
知り合いの看護師数人に尋ねてみると、子どもや親だけでなく医療関係者からもとても評判の良いイベントだという。私は関心を抱き、関連書籍を取り寄せて読んでみることにした。
どうやら星つむぎの村は山梨県北杜市に拠点を持ち、全国に数百人のメンバーを持つコミュニティらしかった。もともと山梨県立科学館で働いていたメンバーが中心になってはじまった活動であり、現在は日本全国の病院だけでなく、支援学校や福祉施設といったところにもプラネタリウムを届けているほか、難病や障害のある子どもを招いたオンラインのイベントや、宿泊事業などを手掛けているという。
これまでの活動を見ていて驚いたのは、こども病院のNICUでもプラネタリウムを開催していることだ。
NICUに入っているのは、みな命の危険に瀕した子どもたちであり、多くが生まれて数日から数カ月のゼロ歳児だ。彼らは星を認識する以前に、人工呼吸器につながれて意識すらないことも珍しくない。このような緊迫した空間で、プラネタリウムを開催する意味とは何なのだろうか。そもそも難病と闘う子たちにとって、星はどんな意味を持つのか。
そんな疑問が膨らみ、私は星つむぎの村に連絡し、プラネタリウムの活動を見学させてもらえないかと依頼した。すぐに快諾の返事が届いたので、早速指定された会場へ行ってみた。
会場となっているホールを訪れると、黒いエア式ドームが円形に大きく膨らんでいた。遮光性高い布地が二重になっており、送風機によって空気が入れられている。
スタッフの話では、星つむぎの村はプラネタリウムを映写する手段を複数持っており、開催する会場に合わせて選んでいるという。家庭用のプラネタリウムで病院の個室の天井に映す簡単なやり方から、広い会場を借りて巨大な専用のエア式ドーム(4mと7mがある)で行うやり方まであるらしい。今回、体験させてもらうのは7mのエア式ドームを用いて行われる規模の大きなものだった。
エア式ドームに足を踏み入れたところ、内部は想像以上に広く、数人のスタッフと私に加えて、7組ほどの身体に重いハンディのある子どもと保護者が入ってもまだ余裕があった。中央に映写機が置いてあり、ドーム全体に星空を映しだせるようになっている。
私はスタッフの指示に従って床に敷かれたマットに横たわった。車いすの子も、呼吸器をつけている子も、仰向けになり、天井に美しい星空が映し出されるのを待つ。
いよいよ、暗いドームの天井に満天の星空が広がった。参加者の間から「うわー」「きれいー」という歓声が上がる。解説者が機械を操作しながら行うライブ上映であり、有名な星が示されて解説が行われたり、星と星を結んで星座を作って神話のエピソードを披露したりする。
私も星空は美しいと感じたものの、ここまでは一般的なプラネタリウムとあまり変わらない印象だったが、解説者が「いよいよ、宇宙に飛び出していきますよ!」と言うと目の前の世界が一変した。映像がどんどん上昇して地球を飛び出し、火星や土星を通りすぎ、太陽系の外に飛び出したのだ。バーチャル映像があまりにリアルなため、まるで自分自身が宇宙空間を飛行しているように感じられる。
いくつもの銀河を巡りながら、解説者は宇宙誕生の流れや星の摂理についての説明をする。私は宇宙の果てから無数の銀河を見下ろしながら話を聞いているにつれ、難病の子どもやその家族に星空を届ける意味が少しずつわかってきた。
一般的なプラネタリウムは、地球から星を見上げて星座や宇宙の仕組みなど天文学の入門的情報の解説に終始することが多い。だが、星つむぎの村が行うプラネタリウムは、見ている人たちを地球の外へ誘い、無数の銀河や星が人間と同じように誕生と死をくり返す様を見せ、この営みこそが〝宇宙全体の命〟をつないでいることを教えるのだ。
宇宙の果てから見れば、銀河も、星も、人もすべて等しい存在だ。ありとあらゆるものが生まれては消えてまた生まれるという営みをくり返すことによって、宇宙そのものが存在している。宇宙が誕生してから138億年、私たちは生と死の絶え間ないつみ重ねによって宇宙そのものの生命を支えているのである。
バーチャル体験によって宇宙全体を見下ろしながらそうした摂理を感じていると、今この瞬間に自分の命があることが奇跡そのものであることを実感する。そして一つひとつの命の長短や、胸の奥にある悩みや苦痛といったことが、不思議ととても些細なもののような気がしてくる。
きっとドームの中で横になっている子どや親も同じなのだろう。毎日本当に苦しい思いをしながら治療に耐えたり、子どもに寄り添ったりしてはいるが、宇宙から自分を見下ろせば、銀河も星も人間も等しく尊い命の一つであることに気づかされる。難病だろうと何だろうと、自分たちは奇跡のように存在している大切な生命体なのだ、と。
その証拠に、上映が終わってドームを出た時、大人だけでなく、子どもまでもが目に涙を浮かべて感極まっている様子だった。彼らは宇宙の中で自分たちが存在することの尊さを実感したのだろう。
プラネタリウムを体験してから2週間後、私は改めて星つむぎの村の活動について話を聞かせていただくことになった。対談の相手は、代表理事の一人である高橋真理子氏(55歳)だ。病院でプラネタリウムのライブ上映と解説を担っている人物でもある。
星つむぎの村は、難病の子どもや家族、それに医療者に星を介して何を伝えつづけてきたのだろうか。そのことを聞いてみることにした。
石井 先日、星つむぎの村のプラネタリウムを体験させていただきました。お世辞なしに、想像をはるかに超える感動体験でした。私の中にわずかにあった「なぜ病院で星空を?」という疑問が100%吹き飛んだくらいの衝撃でした。
高橋 プラネタリウムは、「いのち」を語るのに、最高の場だなと感じています。誰にとっても等しくある「いのち」。宇宙が誕生して、星が生まれ、「いのち」の材料が生まれ、長大な時間をかけて、今、ここで共にいるかけがえのなさを、短い時間で体感できる場、だと。
そして、星空は、その広大な宇宙の窓として、誰の上にも広がっている。真っ白で退屈な天井の向こうに、いつだってあることに気づいてもらえたら、という思いです。
私たちのプラネタリウムは、「誕生日」が一つのキーワードになっています。誰もが必ず持っているし、誰にとっても大切な日。そして、広い宇宙に目を向ければ、宇宙がはじまった138億年前が、みんなの共通の誕生日だよね、と。
でも、我が子の誕生日がつらい、というお母さんに会ったときには、うろたえました。まったく想定外に早く生まれ、重い障害のある体になった我が子の誕生日を、どう祝っていいかわからなかった、というのです。そんな彼女が、私たちのプラネタリウムを見て、「全部がちっぽけなことに思えて、家族でごろんと寝転がって星を見ていることがただただ幸せで……」と、だいぶ後になって長いお手紙をいただきました。
石井 子どもたちはプラネタリウムの感想をどのように表現しますか。
高橋 私たちがプラネタリウムで出会う子ども達の多くは、言葉のコミュニケーションではなく、その表情や、指先や足などわずかな動きで、その気持ちを伝えてくれます。宇宙に吸い込まれそうな、とても集中している美しい表情に何度も出会います。
言葉で書かれた感想の中には、「生きているのは奇跡だな、と思いました」と言うものもあります。私は、プラネタリウムの中で、「奇跡」という言葉は使わないのですが、その子自身が実感してくれたのだと思います。
石井 一般社会の中で暮らしていると、生とか死を個別視点で考えがちです。だから「余命宣告された、悲しい」「あの方が亡くなった、寂しい」という発想になります。それはそれで事実なんですが、星つむぎの村のプラネタリウムの特異なところは、その命のあり方を宇宙から見つめて別の捉え方を示すことだと思いました。
宇宙の営みとは、たくさんの星の生と死のくり返しと言えると思います。そしてその星の中でも、たくさんの生き物もまた死んでは生まれてということをくり返している。こうした摂理を宇宙から見つめると、私たち一人ひとりの命は尊いのだけど、全体の中では生まれることも消えていくことも、すべて宇宙の自然の営みであるということを実感する。これが宇宙全体の命をつないでいることを思うと、不思議な安心感が生まれるのです。
高橋 「生きていること、死にゆくこと」これも誰にとっても等しくあることです。「死」は、すべてがなくなって終わってしまうこと、と思うと、それは恐怖です。
でも、星の一生が教えてくれること、つまり、星の中でいのちの素(元素)が生まれ、星の一生が終わるときの超新星爆発で、また新しい元素が生まれ、それがめぐりめぐって私たちになった、と考えると、そもそも、私たちは、星から生まれ、そして還ってゆく存在なのかもしれない、とも捉えることができます。そして、なにより、星空は美しく、いつもそこにある。
以前、小児病棟で長く闘病をがんばった子が亡くなり、そのお友達と家族に、プラネタリウムを見せながら、その子はきっと星となっていつだって一緒にいること、だから、また一緒に星を見ながらたくさんお話しよう、ということを伝えたことがあります。その後、その子との思い出を語ってくれたお友達もいたようです。
石井 ご家族など保護者も感じるものがとてもありそうですね。
高橋 難病の子どもの保護者は、たくさんの悩みを抱えています。「なんでうちの子がこんな運命に」と嘆いたり、自分が悪かったのではないかと自責の念に駆られたりすることもあります。でも、プラネタリウムを通して宇宙の営みに触れると、考え方や受け止め方が広がり、「楽になった」「安心できた」とおっしゃられることがあります。これはお医者さんや看護師さん、保育士さんなんかも同じですね。
人は、特に困難な状況になったときに、そこに自分の物語を見出す必要があると感じています。「なぜ自分がこんな目に合わなくてはいけなかったのだろう」という問いに対して、腑に落ちる何かがないと、生きていくのが難しい。
そんな時に、宇宙という広い視点から、自分や他者を俯瞰できることは、大切だな、と感じています。これは、当事者だけでなく、「いのち」に日々向き合っている、医療従事者のみなさんや、介護や保育に携わる方にとっても必要な視点かなと思います。
石井 良くも悪くも、病院での闘病生活は人の視野を狭くします。だから一つひとつのことに過剰に反応したり、精神的に追いつめられたりすることがある。そういう方々にとって、広大な宇宙から俯瞰するように自分たちの日常を見つめると、新たな発見があるのでしょうね。
今回は、高橋さんがプラネタリウムを通して何を伝えてきたのか、そしてそれを受け取った人々にどのような変化が起きたのかということについて詳しくお話を伺っていきたいと思います。
石井 星つむぎの村の母体は、2004年に結成した「星の語り部」というボランティアグループにあったようですね。
以前から高橋さんは山梨県立科学館の天文担当の学芸員としてプラネタリウムの事業にかかわっていらした。そこで同僚だった現在の共同代表理事の跡部浩一さんらと一緒にこのグループを作り、「すべての人と星や宇宙を共有する」ことを目的として地域の人を巻き込んで様々な活動をされており、それが星つむぎの村になっていったとお聞きしています。
天文の素人である私がこれまで訪れたプラネタリウムはせいぜい10カ所あるかないかですが、星つむぎの村が行っているプラネタリウムは「星と命を結びつける」という点において、それらのどれとも違う印象を受けました。これは山梨県立科学館や星の語り部の活動をされていたころから一貫してつづけているものなのでしょうか。
高橋 プラネタリウムの職員は、子ども時代から星が好き、という方が多くいらっしゃいます。そのころからの思いが続いて、それをまた次の世代に伝えていける、とても素敵な仕事です。一方で、「なぜ星を見上げるのか」ということがあまりに自明すぎて、それについてあまり疑問に感じず、星や宇宙をわかりやすく「解説」することに注力されている面があります。もちろん、それが悪いことではありません。他方、私も跡部さんも門外漢というか、別の分野からこの世界に入ってきました。私自身は、写真家の星野道夫さんに多大な影響を受けて、アラスカに行き、大学院はオーロラの研究をしていましたが、自然と人、科学と人をつなぐようなことをしたい、と漠然と思っていました。
跡部さんは、小学校の教員で、異動で科学館にきて天文担当になり、最初に私に聞いたのが、「なんで人って星を見るんでしょうね」でした。一緒に仕事をする中で、星空を見上げる意味を、たくさん発見したように思います。「星の語り部」は、プラネタリウムのイベントを機にできたグループで、そこから人が人をつなぎ、おのずと「宇宙と私たちのつながり」といったことが、根底のテーマになっていったように思います。
現在の星つむぎの村のプラネタリウムのことを、「宙語り」と呼んでいるのですが、それは「解説」というのとちょっと違うな、と思っているからです。
石井 わかる気がします。一般的なプラネタリウムでは物質としての星の解説ですが、星つむぎの村のプラネタリウムでは宇宙全体を〝大自然〟として捉えてそこで生きる人間の存在みたいなものを考えさせてくれます。そういう意味では、星野道夫に通じるものも感じる。
星の語り部は、ここからだんだんと難病の子や障害の子を対象にした活動を増やしていきますよね。そこに何かきっかけのようなものはあったのでしょうか。
高橋 星の語り部の活動に障害のある方が参加されたことがありました。視覚障害で目の見えない方です。その時に私たちは、どうしたらこの方に星を「見せる」ことができるかをいろいろ考えて話し合いました。
そもそも、目が見えていても私たちが目にできる星の数は、実際にある星のごく一部です。特に、都会ではほんとに少ししか見えない。プラネタリウムでは、「本当の夜空はこんなにたくさんの星があるんだよ」と、ライトダウンする瞬間があり、その時に、みんなわーっと歓声をあげます。それをなんとか共有したい、と思いました。そのころ、「点図」をつくっておられる点字技能士さんに出会う機会がありました。点字は「六星」と呼ばれるだけあって、点字の「点」を星に見立てて、「星図」をつくれば、触って星を感じることができるのに気づきました。
たとえば最初に街中で見える星空を触った後、満天の星を触ってもらう。「うわー、こんなにたくさん」という声が上がります。プラネタリウムのライトダウンのときの歓声の意味が、指から伝わるのです。
その辺りからでしょうか、どのようにすればハンディのある方に星を伝えられるかと本格的に考えるようになったのは。また、星の語り部のメンバーにも視覚障害の方が入ってくるようになったことで、私たちの間で、見たり、聞いたりすることができない方にも星を届けることが大切という認識が広がっていきました。
このような活動をきっかけに、「ユニバーサルデザイン天文教育」に力を入れる方々とも出会うようになり、だんだんと、ふつうにプラネタリウムをやっているだけでは、届かない人たちが大勢いることに、気づき始めたのです。
石井 「病院がプラネタリウム」がスタートしたのは2014年です。成人の障害者に星空を見せるのと、小児病棟の闘病中の子どもに見せるのとでは、また環境や課題がかなり違ってくると推測します。障害者からはじまった取り組みが、難病を持つ子どもたちへと広がっていったのはなぜなのでしょうか。
高橋 山梨大学医学部に、犬飼岳史先生という小児科のドクターがいます。「ユニバーサルデザイン天文教育」の会合で出会い、私たちの方から病院でプラネタリウムをやってみたいといったことを提案したのです。犬飼先生は、少年時代は天文学者を志していたくらいの星好きだったので、とんとん拍子で話が進みました。
最初に山梨大学医学部付属病院でプラネタリウムをやったのは2007年の夏のことでした。犬飼先生が小児科のドクターだったこともあって、入院している子ども向けにイベントを開催することができたのです。
当時は満足な機材などはなかったので、家庭用の小さなプラネタリウムを持ち込んで、傘型のドームに映して行いました。今のように宇宙を旅することなんてできず、ただ星を映して解説を入れるだけです。
石井 子どもたちの反応はいかがでしたか。
高橋 正直に言えば、あの時に何を話したのか覚えていなくて。うまくできなかったな、という反省だけがありました。それよりも、私や跡部さんの中にあったのは、初めて見る闘病中の子どもたちの姿に、少々うろたえてしまった感覚です。過酷な治療をしている子ども達がいることは知っていましたが、手術で足を切断した子や、抗がん剤で髪を失った子を前にした時は、言葉にならない気持ちになりました。
石井 わかります。私も20代の頃から世界の紛争地域や貧困地域や医療機関で、たくさんのハンディを持った子や、難病の子と出会ってきました。彼らと何カ月も一緒に暮らして本を書いてきたので、ある程度は慣れていたつもりでした。
でも、30代になって最初に日本の病院で難病の子たちを見た時は違いました。日本の先進医療を受けられるはずの病院で、同じ日本人の子どもたちがああいう姿で存在しているということに、今までとはまったく違う衝撃を受けた。頭でわかっているはずと思っていたこととはまったく違いました。
高橋 ただ、後から犬飼先生から、ふだんあまり笑わない子が、嬉しそうに「星を見た」といってくれたと聞いて、何かしら意味があったのかな、と少し救われた思いになりました。そして、これはきっと大事な活動になるな、と感じました。
石井 その思いが7年の歳月をかけて、「病院がプラネタリウム」に結実していくのですね。
高橋 当時は山梨県立科学館の仕事がもっとも忙しい時期だったので、本格的に取りかかる余裕はありませんでした。年に1回くらいのペースで、山梨大学附属病院で子どもたちにプラネタリウムを見せたり、天体望遠鏡で本物の星を見せたりするイベントを行っていたのです。車いすの女の子が、必死になって体を伸ばして望遠鏡をのぞいている姿を前にしてとてもうれしい気持ちになったことを覚えています。病院に入るようになって、長期入院を余儀なくされる子ども達にとって、病院は、ただ治療のみをすればよい場所ではなく、子ども達が学び、遊び、成長する場でなければならない、ということを思いました。私たちができることはそう多くないけれど、プラネタリウムは、想像力の翼を広げるきっかけになるのでは、という気持ちでした。同時に、それぞれの「いのち」は、みんな等しくかけがえがない、ということを感じてもらえたら、と。
石井 跡部さんに話を伺った時も似たようなことを話されていました。ある日、跡部さんは病院での活動の中でNICUを訪れたことがあったそうです。そこでは、様々な医療機器に囲まれて懸命に生きている命があり、小さな命を見守るご家族の中には、「うちの子は苦しむために生まれてきたのか」と、表情をなくしている人もいた。でも、満天の星を見上げて、宇宙の中で「すべての命は等しく同じ」という事実に触れることで、「この子の生まれてきた意味がはじめてわかりました」という言葉を聞いたそうです。
石井 星の語り部から一般社団法人「星つむぎの村」として再スタートを切ったのは2017年6月とお聞きしています。山梨県の八ヶ岳のふもとに拠点を置いて、星の語り部時代からの仲間や、新しく入った仲間を〝村人〟と呼んで星をテーマにつながるコミュニティをお作りになった。あえて「村」としたのには、どのような理由があるのでしょうか。
高橋 星の語り部時代から、みんなにとって心の拠りどころになれるような場やコミュニティへの思いがありました。病院や施設、東日本大震災の被災地などに出向き、さまざまな仲間が増えていくなかで、年代、病気や障害の有無を超え、一緒に星を見上げて、共に生きるインクルーシブな場になっていきました。最初から、それが想像できたわけではないですが、いつかほんとうの「村」になりたい、という漠然とした願いは、跡部さんも私も持っていたと思います。
石井 現在、メンバーの人たちは「村人」を名乗り、病院や福祉施設での出張プラネタリウム、ワークショップ、復興支援、それに広報など様々な活動に参加されています。一般的な団体で置き換えれば、メンバーがボランティアとして団体の活動に参加しているようなものですね。私自身、星つむぎの村の活動は、これまで様々なところで見聞きしてきました。その中でプラネタリウムの活動に限ってお聞きしたいのですが、現在は年間でどれくらい行っているのでしょうか。
高橋 依頼されているプラネタリウムの件数は、2024年度は230件ありました。そのうち、「病院がプラネタリウム」と呼んでいる、なかなか本物の星空を見るのが難しい人たちに届けているものがおよそ140件。残りは、学校や公共施設や地域の集まりなど、さまざまなところに呼ばれています。「病院がプラネタリウム」は、初回無償枠を設けていて、必要経費は、助成金や寄付でまかなっています。
石井 出張プラネタリウムの中には、当然遠方まで行って泊りがけで行うものもあるでしょうし、オンラインでやっている活動もさまざまあるとのことですから、現実的には1年の半分以上は難病の子や障害児など、支援を必要な人々に向けて活動されているんですね。
きっとプラネタリウムを体験した方々は、大きな力をもらっていると思います。ただ、どういう効果があったのかということについては、なかなか数値化や可視化をすることができません。効果を目に見える形で示しにくい。なので、こう言われることもあるかもしれません。
「プラネタリウムを見せて何の得になるの?」
高橋さんなら、この質問に対してどのような回答をしますか。
高橋 やはり、目の前にいる子ども達の様子や周囲の人たちの反応がそれを教えてくれるように思います。ふだん怒りでしか表現ができなかった子が、「感動しました。ありがとう」と言ったことに先生が驚いたり、いつも動き回ってしまう子が、ずっと集中して親御さんが感涙していたり。こういったエピソードがたくさんあります。
安藤佐知ちゃんという子のことをお話しさせてください。
佐知ちゃんは愛知県内の病院に入院していた小学生の女の子です。6歳の時に白血病が見つかって闘病をしていました。2020年、「病院がプラネタリウム」で病院を訪れ、個室にいたので、母娘2人だけのプラネタリウム。すごく楽しみにしていて、大好きなスライムで宇宙を表現して待っていました。病室での上映が終了した後、佐知ちゃんは目をキラキラさせてこう言いました。
「最高! 世界で一番最高! これで1年生きていける」
その後、コロナ禍となり、すべてがオンラインに切り替わった時期だったので、「星の寺子屋」に参加してくれるようになり、大変な治療をしている日もやってきてくれました。
また、同じ病院にはりちちゃんという同世代の女の子もいました。佐知ちゃんはりちちゃんとすごく仲良しで、いつか山梨に行って、本物の星空を見上げたいと話し合っていたそうです。
その後、佐知ちゃんの容態は悪くなっていき、しばらく意識が戻らない困難な時期もありました。私たちも祈るような気持ちで毎日をすごしていました。
その後、その状態を乗り越え、「星の寺子屋」に出てきた佐知ちゃんは、みんなの顔を見るとすごく元気になったように見えました。そして他の子たちがおやつを食べているのを見て、「私も食べる」と言い出し、なんとさけるチーズを口にしたんです。お母さんがびっくりしていました。安心できる場で、他者とつながるって、それだけ強い力をもらえるってことなんだと再認識させられました。
石井 今、お話にでてきた「星の寺子屋」は、跡部さんが中心になって月に2回開催しているオンラインの集まりですね。健常者も障害者も難病の子も、みんながオンラインでつながって遊んだり、工作をしたり、一緒におやつを食べたりするイベント。コロナ禍の時にはじまって、今も継続しているとお聞きしています。
高橋 はい、そうです。オンラインなので病棟のベッドの上からでも参加できるので佐知ちゃんも顔を出せたんです。大人たちは佐知ちゃんの容態のことを知っていたので、村人からメッセージを送ろうと話し合って、クリスマスにこんな言葉を書いて呼びかけたこともあります。
さちちゃん メリークリスマス
またいっしょに星をみようね
いつもそばにいるよ
星つむぎの村より
そういうつながりの中で、佐知ちゃんは山梨に来て、みんなと実際に会って星を見たかったんだと思います。
村人もみんな佐知ちゃんが大好きです。
家で過ごしたいという佐知ちゃんの願いをかなえるべく、ご家族は、覚悟を決めて、佐知ちゃんを家に連れて帰りました。食べられなくても、香りを体いっぱいに吸えたらいい、とその晩はカレーを準備していると聞き、村人たちもそれぞれの家で、一緒にカレーを食べました。星の下、同じ時間を過ごすことで、心が共にあると感じられたら、と。
このようにオンライン上ではありましたが、8ヵ月ほどの密な時間を過ごした後、佐知ちゃんは2021年に9歳で亡くなりました。最期が近づき、先生が医療機器を外した後、佐知ちゃんは家族を安心させるように目を開けて微笑み、旅立っていったそうです。
石井 佐知ちゃんが星つむぎの村と出会えたこともよかったですが、きっとご家族も村人の方々と付き合いが持てたことは幸せだったでしょうね。たぶん、たくさん支えられたと思いますし、勇気をもらえたはずです。
高橋 ご家族はその後、村人になってくれました。佐知ちゃんの上に高校生(佐知ちゃんがなくなった当時は中学1年)のおにいちゃんがいるんですが、彼も私たちと出会ってから星が好きになり、村人として活躍しています。
「星のソムリエ®」という資格の講座を受けに、星つむぎの村の拠点である八ヶ岳山麓に一人できたり、星の写真撮影も一生懸命チャレンジしたり。はっきりと言葉にはしていませんが、星を介して妹の佐知ちゃんを想っていることが伝わってきます。お母さんもプラネタリウムで話ができる人になりたい、と頑張っています。
また、先にもお話しした佐知ちゃんと同じ病棟だった友達のりちちゃんに関しても深い思い出があります。彼女も小児がんで一生懸命に戦ったのですが、この先の治療は難しいという状況の中、佐知ちゃんのお母さんが、りちちゃんに、何がしたい? と問うたら、りちちゃんは、「八ヶ岳の星つむぎの村のところに行きたい。佐知ちゃんと一緒に行きたいねって約束してたから」
まだ佐知ちゃんの四十九日も終わっていない時期でしたが、容態を考えれば猶予はありません。佐知ちゃん家族、そしてりちちゃん母がりちちゃんとその姉兄含め4人を連れて車で5時間以上かけて、山梨まで来てくれたのです。
私たちもなんとかりちちゃんの願いを実現したいと思い、犬飼先生に相談して何かあった時の受け入れ態勢を整えていただいたり、跡部さんたちが奔走して7mのドームを設置したりしました。また、応援のために神奈川県から駆けつけてくれた村人や、りちちゃんが唯一食べられる手作りの梅干しを送ってくれた村人、子ウサギを連れてやってきた村人など、たくさんの協力もありました。
りちちゃんがやってきた日は、残念ながら雨で星はほとんど見えませんでしたが、翌日は晴天になりました。プラネタリウムだけでなく、佐知ちゃんとの思い出の写真をみんなで見返したり、焼き肉をしたりしました。りちちゃんはかなり体がしんどそうでしたが、子ウサギをなでて嬉しそうな表情をし、地元で有名なソフトクリームをおいしそうに舐めることができました。そして笑顔を残して自宅のある福井県に帰っていったのです。
その3日後、りちちゃんは亡くなりました。最期の思い出を私たちと作って星になっていったんです。
石井 このようなエピソードをお聞かせいただくと、星つむぎの村の活動は、星を介して何かしらのメッセージを伝えるというだけでなく、〝村〟というコミュニティの中でみんなでお互いを支え合うという取り組みであることを実感いたします。星を媒介にしてそこまで濃密な関係性を作り上げていることに改めて頭が下がる思いです。
石井 先ほど、星つむぎの村でコロナ禍以降に行っている星の寺子屋について触れました。最近では2024年から「星つむぐ家」のプロジェクトをスタートしています。山梨県北杜市に、誰もが安心して星を見たり、自然と接したり、交流したりするための宿泊施設を寄付やクラウドファンディングで建設して行っている宿泊事業です。
木造のロッジのような建物で、周りには大自然が広がっています。特徴的なのが単なるバリアフリー施設ではなく、点滴や人工呼吸器をつけているような子も利用できるような設備を整えていることでしょう。広いデッキからは八ヶ岳の美景や広大な星空を眺めることもできます。
どのような経緯で、このプロジェクトははじまったのでしょうか。
高橋 前身の星の語り部の時代からメンバーとは「色々な人が自由に集まれるスペースがほしいね」ということは話していたんです。星つむぎの村になってから、未来基金として少しずつお金を貯めていました。
私たちは、活動をしていくにつれ、多くの障害や病気のある子とかかわっていくようになりました。メンバーの中にもそういう家族が増えていって、いつしかインクルーシブがテーマの一つになっていった。
車いすやバギーに乗っていたり、医療的ケアがあったりすると、旅行に行くのはとても大変です。でも、「おいで」と言ってもらう場所と人があれば、勇気を持って出かけることができる、と仲間に教えられました。そこで、誰もが安心して満天の星を見に来られる宿泊施設をつくろう、ということになったのです。私たちの拠点の建物は、バリアフリーでなかったので、それとは正反対の建物にしたいという思いがありました。
石井 先ほどおっしゃっていたりちちゃんが来たのは、バリアフリーではない建物の方ですね。
高橋 はい。なので、もしバリアフリーの宿泊施設があれば、もっと楽に、自由に来られただろうという気持ちはずっと持っていました。
実際に病気や障害のある子の家族の話を聞くと、社会の側に大きなバリア(障害)があることにあらためて気づかされます。彼らを受け入れてくれるところや、気軽に利用できるところは、非常に限られています。特に地方の自然の中となると、なかなかないというのが現状でしょう。
あるご家族が旅行で泊まりに行こうと、いくつものホテルに問い合わせをしたらしいのですが、ことごとく断られたそうです。車いすであるというそれだけで、泊まりに行ける場所がないとは、本来おかしな話です。病気や障害があっても、子ども達が成長するには、さまざまな体験が必要で、自然体験もその一つ。それは誰もが体験できる権利を持っているはずです。
石井 表向きはバリアフリーを謳っていても、実際はまったく違うということはよくありますよね。公共施設だってそうなのですから、民間となればなおさらでしょう。
高橋 星つむぎの村がやっているのは、ひたすら「一緒に星を見よう」というすごくシンプルなことなんです。だから、目が見えなければ点図で星を見せるし、病院の外に出られなければ病院でプラネタリウムをする。そう考えた時、本物の満天の星を見たことがない子がいるのなら、安心して見られる施設を作るというのは必然的な発想でした。
石井 チラシを拝見すると、一棟貸しで中学生以上は素泊まり5000円、小学生は2500円、未就学児は無料。ただ、1泊の最大料金は15000円なので、宿泊者数が多ければ多いほど1人当たりの宿泊費は安価になる。子どもが多い家庭や、祖父母や友達と泊まりたいと考えている方にはとてもやさしい料金設定ですね。
星つむぐ家は、サイト上で宿泊者を募集しており、村人でなくても泊まることはできます。実際のところ、お客さんで障害や難病で外出が困難という方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
高橋 前提として、星つむぐ家は、一般的な宿泊サイトなどには登録していませんので、星つむぎの村を知っていたり、プラネタリウムを体験してくださったり、という方の利用が大半です。申し込みフォームでは外出困難者の有無を尋ねていて、それによれば利用してくださった方の7割が外出困難者あり、としています。なので3組に2組以上がバリアフリー施設としてうちを選んでいるのです。
石井 それだけ多くの方が八ヶ岳の自然の中で、星を見たいと願い、この地を訪れてくる。そう考えると、星つむぐ家の存在が、どれだけ彼らにとって大きなものかわかります。今後も多様な方向で星の事業を展開してくことをお考えなのでしょうか。
高橋 私たちのミッションはすべての人に星を届けるというものです。これからも活動していくうちに、そのミッションを実現するために、新たにやらなければならないことがあれば当然やっていくことになるでしょう。
ただ、それはこれまでのように私や跡部さんがやるとは限りません。私たちに続く、若い人たちが、担い始めています。今後は彼らがどんどん新しいことをやっていってくれたらと願っています。
石井 新たな取り組みがはじまりましたら、期待を持って見に行きたいと思いますので、ぜひ教えていただけたらと思います。本日はありがとうございました。