デジタル・ネイティブの育ち方を取材した『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』や日本初の民間小児ホスピス「TSURUMIこどもホスピス」を取材した『こどもホスピスの奇跡』で話題を呼んだノンフィクション作家の著者が子どものQOL向上で特筆すべき活動をしている施設への取材を通して、医療や福祉の在り方を問います(次回更新で過去の連載記事は読めなくなります)。
1977年生まれ。アジアの障害のある物乞いを扱ったノンフィクション『物乞う仏陀』でデビュー。その後、国内外の貧困、病気、犯罪など多様なテーマで作品を多数発表。難病の子供のQOLをテーマにした『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。現代の若者の生きづらさを言葉から見つめた『ルポ 誰が国語力を殺すのか』、特別養子縁組制度を作った菊田昇医師の評伝小説『赤ちゃんをわが子として育てる方を望む』など。
神奈川県横浜市南区の小高い丘の上に、神奈川県立こども医療センターがある。
首都圏でも有数の小児の総合病院で、外科から精神科や歯科まで38の診療科を揃えており、計419の病床数を有している。ここで治療を受けるのは、一般のクリニック等では治療が難しい、重い病気の子どもたちが大半だ。
秋の午後、同センターの入院病棟を、黒い毛並みがきれいなラブラドールレトリーバーが歩いていた。「オリ」という名のメスの2歳の犬だ。水色のポロシャツを着た女性に連れられて、凛としたたたずまいで進んでいく。
オリはファシリティドッグと呼ばれる、病院の動物介在療法の専門的な訓練を受けた犬だ。病気の子どもたちの入院生活や治療に付き添うことで、気持ちを前向きにさせたり、安心感を与えたりする。同センターには、「アニー」というベテランのファシリティドッグがいるが、オリは現在独り立ちするために訓練を受けている若い候補犬だ。
病棟にオリが現れると、少し張りつめた固い空気が途端に華やぐ。廊下や病室には、車イスに載ってリハビリに向かう子、プレイルームで絵本を読んでもらっている子、ベッドサイドで付き添う親、それに慌ただしく働く看護師や医師がいるが、みなオリに気がつくと、目を輝かせて「やっほー」と声を掛けたり、手を振ったりする。中には「これからリハビリに行ってくるよー、待っててねー」と声を掛ける子もいる。
この日、オリが向かったのは、普段から会うのを楽しみにしている小学生たちのところだ。昼下がりの時間帯にベッドに横たわっているのは、体調が悪くて院内学級に通えない子や、治療中の子たちが多いが、オリを見ると満面の笑みを浮かべて体を起こし、手を伸ばす。
一人の子どもに接するのは、5分~15分ほど。子どもによって望むことは様々で、オリとボール投げや輪投げをして遊ぶこともあれば、ベッドの上で一緒に横になって静かに体温を感じていることもある。散歩に行きたいという子もいる。
患者の中には治療の甲斐なく、命を落としてしまう子もいる。そんな子たちは、最期が近づいて起き上がることができなくなっても、ファシリティドッグに傍にいてほしいと望み、何を語るわけでもなく、ただぼんやりと見つめてすごすことがある。
何週間、何ヵ月、場合によっては何年も、病棟の白い壁に囲まれて一人で暮らす子どもたちにとって、オリは医師や看護師とはまったく違う、“同志”のような存在になっているのだろう。
私が初めて医療と動物の関わりに関心を抱いたのは、20年ほど前にバングラデシュの病院を訪れた時のことだった。
その病院にはスラムに暮らす貧困層が多く通っており、ベッドは常に満床で、廊下だけでなく、野外にまで患者が横たわっているような有様だった。混雑している時期には、わずか数分の診察のために何日も待たなければならないこともあり、途中でこと切れてしまう者もいた。
私が病院に滞在していて気になったのが、たくさんの猫が院内を出入りし、患者からかわいがられていたことだ。病院が飼っているのではなく、周辺にいた野良猫が住み着いているのだ。患者たちは治療費どころか、食費すらろくにないはずなのに、それを節約してまで猫の餌を買い、話し掛けては与えていた。
当初、私はなぜ病院側が不衛生な野良猫の出入りを放置しているのか疑問だった。その質問を投げ掛けると、あるベテラン医師が次のように話してくれた。
「猫たちは医者や看護師ができない仕事をやってくれるんだ。患者の中には治療を受けなくても、病院に来て猫をかわいがることで元気になって帰っていく人もいる。うちの病院が患者にできる医療は限られているけど、足りない部分を動物が補ってくれているんだよ」
医師の話のどこからどこまでが本当なのか見当がつかなかったが、その後も発展途上国の病院を訪れるうちに、似たような光景を何度か目にすることになり、こうした一面もあるのだろうと漠然と考えるようになった。ただ、この時は別のテーマを取材していたため、ここを掘り下げようとは思わず、いつしか記憶から遠ざかっていった。
医療と動物との関係に再び関心が向いたのは、数年前に何気なくかわした旧知の友人との会話だった。あるプロジェクトで、一時期親しくしていた男性の小児科医と再会することになり、食事をすることになった。その席で、彼が何気なくこんな話をしたのだ。
「昔、静岡県立こども病院にいたことがあったんですが、治療を嫌がって一歩も動こうとしない女の子がいたんです。注射を打って眠らせて無理やりやるしかないかもしれないというところまでいった。そしたら、ナースの一人が、その子が大好きなファシリティドッグを呼ぼうと提案してきたのです。僕はその意味もよくわかっていなかった。
しばらくしてファシリティドッグが連れてこられて、別の部屋で過ごすことになった。そこで何が行われていたのかわかりません。数分して女の子が出てきたら、驚いたことに態度が180度変わって、『治療を受ける!』と言い出したんです。もう憑きものが取れたような表情になっていた。
恥ずかしい話、僕はそれまでファシリティドッグが持つ力について深く考えたことがありませんでした。院内で音楽界や運動会をするみたいな気分転換の一つに過ぎないと思っていた。でも、この体験をしたことで、考えを改めさせられました。ファシリティドッグには、人間には想像もつかないところで子どもとつながり、パワーを与える力があるのだと考えを改めたんです。ただ、僕は間もなく別の病院に移ったので、それがどういう仕組みでどういう効力があるのか、未だにわかっていないのですが、もしよかったら石井さん、調べてみてくださいよ」
会食中の何気ない会話だったが、頭に残った。
その日、家に帰ってインターネットで検索したところ、日本の病院にファシリティドッグを導入しているのは難病の子どもたちの支援事業を行うNPO法人「シャイン・オン・キッズ」であることを知った。
もともとファシリティドッグを用いた支援は、動物介在療法と呼ばれてアメリカの病院を中心に広まっており、高い効果が認められていた。そこで、日本で闘病する子どものQOLを高めるため、同法人がハワイで訓練を受けたファシリティドッグの「ベイリー」を日本の病院に持ち込んだのがはじまりだった。そしてその病院こそが、先の医師が勤務していた静岡県立こども病院だったのだ。
それから私はファシリティドッグに関係する記事をいくつか探して読み漁った。2010年にスタートしたプロジェクトは少しずつ広まり、現在では4つの病院がファシリティドッグを採用しているという(2024年11月)。記事を読んでいるうちに、私の中で次第に関心が大きくなり、かつて途上国の病院で見た光景とも重なった。
ファシリティドッグは、専門的に育成されたという点において、途上国の病院の猫とはまったくの別物だ。だが、後者がアニマルセラピーのプリミティブな形であり、ファシリティドッグが最先端だとしたら、何かしら重なるところもあるのではないか。
シャイン・オン・キッズに問い合わせると、日本人初のハンドラーである森田優子さんを紹介された。ハンドラーとは、特別な訓練を受け、ファシリティドッグとペアを組む臨床経験のある看護師のことだ。最初の勤務地は静岡県立こども病院だったが、2012年からは神奈川県立こども医療センターに移り、現在はファシリティドッグの「アニー」と共にオリの訓練を行っているという。
その森田氏にファシリティドッグが持つ力について話を聞くことにした。
石井今日、神奈川県立こども医療センターで、森田さんとオリのお仕事を拝見していて印象的だったのは、ファシリティドッグのプロフェッショナル性でした。病棟の子どもに接する時、オリは相手によって行動を変えていましたよね。元気のある子には、積極的に関わっていって楽しそうにボールを拾いに行ったり、おやつをもらって美味しそうに食べたりする。一方で、悩み事を話したそうにする思春期の子には、そっと傍らに添って身動きをせずにすわっている。
小学6年生の女の子だったと思いますが、静かに伏せているオリをゆっくり撫でながら、ずっと入院生活のつらさを吐露していました。
「一ヵ月も点滴だけで何も食べちゃいけなくて、毎日ご飯を食べる夢しか見てないんだ」「〇〇ちゃんは3週間ぶりに卵焼きを一口食べて、おいしくて涙が出たんだって。オリはいつもおいしいものを食べれていいね。私も早く点滴抜けないかなー」……。
病室に長く入院している子は“立派な患者”であることを求められ、看護師や親にはなかなか不平をこぼそうとしません。けど、オリがいると安心するのか、そんな話を森田さんに淡々と語っていた。もしオリがいなければ、ああしたガス抜きみたいな会話はできなかったかもしれません。
森田犬は何万年も前から人間と共存して進化してきた動物です。群れで暮らす動物だけあってコミュニケーション能力に秀でているだけでなく、人間に対する共感性もとても高い。
初代のファシリティドッグだったベイリーが、そうした力が突出していました。自分の意思をはっきり伝える子なんですが、病棟で子どもたちに接する際には、じっと目を見つめて、自分がどう振る舞わなければならないのかを考え、行動する。状況を読むことに長けていました。
病気の子どもだけでなく、付き添っている親御さんに対してもそうでした。子どもの経過が思わしくなく、親御さんが肩を落としていたら、ベイリーはしばらく「どうしようかな」と考え、そっと傍に寄り添うなんてことがよくありました。親御さんからは、しばしばこう言われたものです。
「ベイリーは、なんで私の気持ちがわかったの?」
それくらい人の気持ちを読んで行動することができたんです。
トレーニングは必要不可欠としても、ファシリティドッグとして相手が望んでいることをどこまで察して行動に移せるかは、生まれつきの性格や能力も大きいですね。
石井森田さんのようなハンドラーは、ファシリティドッグと仕事のパートナーであり、それと同時に24時間を共に暮らす家族でもあるんですよね。同じ家で寝起きし、朝晩の散歩をし、平日は病院に通勤し、休日も共に遊びに出掛けたりする。仕事とプライベートの垣根がほとんどありません。あえて病院での活動を仕事、それ以外の活動をプライベートとして分けた上で、病院で行う代表的な活動にはどのようなものがあるのでしょうか。
森田大きく二つに分ければ、まず一つが病棟の患者さんとの日常的な触れ合いです。病室やプレイルームで遊んだり、撫でてもらったりといったことです。子どもたちにとっては治療とは違う時間だし、保育士さんや保護者など、大人との付き合いとも異なるものになります。
二つ目が治療やリハビリの付き添いです。運動療法の際に一緒に歩く、手術室へついて行く、検査に立ち会うなど。こちらはいわゆる動物介在療法として知られるものですので、より医療活動に近く感じるかもしれませんが、どちらも子どもたちの入院生活や治療をポジティブにするという意味があります。
石井一般的にアニマルセラピーと呼ばれるものは、医療に近い動物介在療法と、生活の質を上げるための動物介在活動の二つに分類されます。ファシリティドッグは、状況や相手によって二つの役割をこなすということですね。
ちなみに、ファシリティ“ドッグ”というだけあって、この二つの活動をバランスよくできるのは犬に限定されるのでしょうか。動物介在活動の分野では、犬以外にも色々な生き物が用いられていますよね。猫やウサギ、ケースによっては馬や牛なんかも用いられることがあります。
森田海外の高齢者施設などで行われる動物との触れ合い活動は、ラマなんかも用いられることがあると聞きました。ただ医療安全の観点から、例えばネコは潜在的なアレルゲン性の増加、噛み傷やひっかき傷の潜在的なリスクの増加といった懸念もあり、2015年にSHEA(米国医療疫学学会)が提唱したガイドラインでは「動物介在活動に用いる動物は、伴侶動物の犬のみ許可」とされています。患者に対する安全だけでなく、医療機器の多い院内で安全に振る舞うためには高いトレーニング能力が欠かせず、その点でもクリアできるのは犬だからこそだなと実感します。
一方で、犬ならどの犬でもファシリティドッグになれるわけではありません。私たちの団体では、働く犬の輩出実績のあるオーストラリアのブリーディング団体から、血統や性格などの厳しい基準をクリアした犬を仔犬の時点で受け入れています。そしてその仔犬を当団体の専属トレーナーがポジティブ・トレーニングで育てていきます。さらに私たちハンドラーも訓練を重ね、候補犬とペアを組んでうまくやれるかどうかを試す。このようにあらゆることがうまくいって初めて、ファシリティドッグとして病院で働けるのです。犬種としてはゴールデンレトリーバー、ラブラドールレトリーバーが多いですね。
石井ゴールデンレトリーバー、ラブラドールレトリーバーは人間に対して非常に友好的で、性格も温和であることで知られています。猟犬としても使われているので、人間の指示にも忠実に従う。それでも犬によって性格はぜんぜん違うんでしょうね。ファシリティドッグがトレーニングによって身につけるのは、子どもたちに対する心のケア以外のことにも及ぶのでしょうか。
森田もちろんです。ハンドラーとの二人三脚になりますが、医療現場では配慮すべきたくさんのことがあります。
たとえば、治療中の子どもは点滴をつけていたり、気管切開をするなどして人工呼吸器をつけていたりしますよね。病室には医療機器のコードもたくさんある。病室で子どもたちと触れ合うには、それらを意識的に避けることが必要になります。
検査の付き添いの時も注意が必要です。小児がんの子どもたちが何度も受ける骨髄検査では、ドクターは腰を十分に消毒した上で、滅菌シーツをかぶせて針を刺します。この時にペロッと舐めてしまったら大変なことになる。そして、処置室の中で犬が動き回ったり、医師の手技の邪魔になってもいけません。
また、高度な治療を行っているICU(集中治療室)にも、ファシリティドッグの立ち入りが認められています。そうなるとかなり高度な対応力が犬に求められます。そう考えると、いくら能力が高いとはいえ、他の動物ではなかなか務まらないのです。
石井たしかに病棟でオリは優等生のように静かでお利巧でしたが、この対談のために会議室に移動したら、途端に先輩ファシリティドッグのアニーと追いかけっこをしたり、走り回ったりと元気いっぱいです。普通の町にいるワンちゃんと変わらない(笑)。逆に言えば、病棟ではそれだけ“仕事モード”だったことになります。
森田オリ自身が仕事モードと遊びモードを分けていると思います。ハンドラーの私としては、それぞれのモードを意識して接するようにして、余計なストレスを与えないことが大切だと思っています。
石井森田さんは元看護師ですよね。静岡県立大学看護学部を卒業し、日本でもっとも小児医療が進んでいる病院の一つ、国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)に就職なさっている。おそらく高い志を持って子ども病院に勤めたのだと思うのですが、なぜ途中からハンドラーになることを目指したのでしょう。
森田私は静岡県で生まれ育ったんですが、小さな頃から生き物が大好きだったんです。犬は飼わせてもらえませんでしたが、ウサギ、ハムスター、小鳥などたくさんの生き物を飼育して楽しく触れ合っていました。看護師の仕事に関心を持ったのは中学生くらいで、そのまま看護学部に進んだのですが、動物好きだったこともあって大学の卒論のテーマを動物介在療法にしました。
新卒で入職したこども病院では5年ほど外科系病棟で勤務していました。外科系の疾患は、手術をして、良くなってそれで終わりということが多い。元気に退院していく姿が見られるので、それはそれでやりがいはありましたが、とにかく忙しいので患者さん一人一人にゆっくり向き合うような看護がなかなかできないという思いでいっぱいでした。
石井同じこども病院の看護の仕事でも、外科と内科では違いがありますよね。内科で小児がんの子の治療をしようとしても、必ずしもそこに終わりがあるわけではない。抗がん剤が効くかどうかはやり続けてみなければわからないし、たとえば、白血病が治ったとしても、別のがんになったり、他の障害が起きたりすることもある。晩期合併症と呼ばれるようなものです。数年もの間、先の見えない治療を続けている人がざらにいる世界といえる。そうなると、寛解はないかもしれないということを前提にして、子どものQOLを高めるために周りが寄り添っていかなければならない面もある。その点で、看護の仕方がまるで違うといえるかもしれません。
森田はい。なので、外科の看護師から見ると、内科でやっていることが不可解に感じたことがありました。なんで内科では子どもの意思をこんなに尊重するのだろう、と。内科の看護を知らないので、そんなふうに誤解してしまうんです。同じ病院の同じ看護という仕事でありながら、ぜんぜん別物なんです。
ただ、外科で行われている看護は、それはそれで、回転が速いため業務は大変でした。現場にいる時は淡々とやっていましたが、頭のどこかでは小さな頃に目指していた看護の理想とは何かがズレているみたいな感覚があった。子どもに寄り添う方の仕事をしたいという気持ちが心の奥底にあったのかもしれません。
そんな時、大学で卒論を担当してくれていた先生から連絡があって、こう言われたんです。
「ある団体が日本にファシリティドッグを導入しようとしている。森田さんは、卒論で動物介在療法について書いていたよね。もし興味があれば、ファシリティドッグのハンドラーをやってみないか?」
突然のことでびっくりしましたが、話を聞いてみて直感的に「あ、やってみたい」と思いました。それで挑戦することにしたのです。
石井2009年の夏、森田さんは28歳でハワイにわたり、ハンドラーの教育・研修を受けます。ハンドラーになるための知識と技術を一から学び、現地の病院で活躍するファシリティドッグの活躍も目の当たりにする。ここで出会ったのが、日本初のファシリティドッグとなるベイリーでしたね。
ただ、ハワイでの研修に合格したものの、日本では採用を確約してくれる病院がなかったそうですね。静岡県立こども病院が、たった1週間のお試し期間をくれただけで、そこで断られたら導入は不可能だった。にもかかわらず、森田さんはハワイから静岡の不動産屋に連絡し、ベイリーと暮らすアパートを契約しました。うまくいくという確信はあったのでしょうか。
森田病院の方々にベイリーを見てもらえれば、導入は決まると思っていました。今になって考えれば、少々無謀だったかなと思いますが、あの頃はとにかくやるしかないと思っていただけです。
お試し期間はもどかしい日々でした。ほとんどの病棟にはまだ入る許可が得られなかったし、会える子どもも限られていました。アメリカの病院とぜんぜん違った。
それでもベイリーと共に自分たちにできることを誠実に一つひとつやっていきました。すると、病院の関係者も少しずつファシリティドッグが関わることによる変化に気づいてもらえる機会ができてきました。たとえば、手術を受けた後、回復のためには早くから体を動かした方が良い場合があるのですが、痛みや恐怖から起き上がろうとしなかった子がいました。ところがベイリーがやってくると聞いたら、急にすくっと起き上がり、その場にいた医師・看護師を驚かせたんです。これは動物ならではの効果ではないでしょうか。そうしたことがいくつか重なり、ファシリティドッグへの関心が少しずつ深まっていったんです。
石井なぜアメリカに比べて、日本ではファシリティドッグに対する理解が乏しかったんでしょう。
森田犬に対する捉え方が異なることが大きな要因だと思います。アメリカでは古くから、犬は家族の一員という立場で、家の中で飼うのが一般的でした。日本では靴を脱いで家に上がるのに対し、アメリカでは室内でも土足で歩き回っているくらい、衛生概念や文化が違うんです。それにアメリカの家庭では、ペットの犬でも飼い主とともにトレーニングを受けることが多いので、犬が吠えて周りに迷惑をかけるということが少ないと言われています。
一方、日本では、犬は一昔前までは“番犬”という立ち位置でした。最近は変わりましたが、少し前までは庭に犬小屋を建てて、そこで飼うのが普通だった。人間と犬の生活圏が分けられていたのです。なので、人が来ると吠えていることも多かったと思います。
このような家庭や社会における犬のあり方が、病院のそれにも反映されるように感じます。つまり、アメリカでは医療従事者の一員として迎えられますが、日本では「吠える」「汚い」「危ない」というネガティブイメージから、医療現場からは遠ざけられてしまうのかもしれません。私たちが活動を始めた2010年頃では、今以上にそうした感覚が強かったように思います。
石井1週間のお試し期間がすぎた後、病院は週に3日来ることを認めてくれたそうですが、それでも活動できるのは半日。病棟も一ヵ所しか立ち入りを許してもらえなかったんですよね。
森田そうです。大きな病院でしたが、まず3名のスタッフが最初に理解を示してくれました。腫瘍を専門にするドクター、外科病棟の師長さん、それに医療メディエーター(医療対話仲介者)です。この方たちが、とりあえずやってみようと言ってくれた。そしてこの師長さんが担当している外科病棟にだけ入れることになったんです。
最初の一歩は大きいものではありませんでしたが、これが病院側の認識に変化が生まれるきっかけになりました。まず子どもたちの間でベイリーのファンが増えて、「また会いたい」「いつ来てくれるの」と言い出すようになった。そうなるとドクターも看護師もその効果を認めてくださるようになった。病棟のみんながベイリーを歓迎するパネルを作ってくれたこともありました。さらに女の子二人が、自ら院長の部屋へ行って「毎日ベイリーに会いたいです」と直訴してくれた。こうしたことが積み重なって、病院も本格的な導入を決め、週3半日から毎日の勤務になったのです。
これによって、外科病棟だけでなく、血液腫瘍科病棟などでも活動の場が増えはじめました。最初は遊び場であるプレイルームでしたが、そこから入院している病室、そして検査のための処置室へと広がっていった。
そうしているうちに、一人の女の子との出会いがありました。彼女はがんで視覚を失っており、検査での採血をすごく怖がっていました。採血をするよと言われるたびに、パニックになって泣きじゃくって、検査どころじゃなくなるのです。
ある日、困った看護師さんが、彼女がベイリーのことを大好きなのを思い出し、「ベイリーと一緒だったらどうかな」と提案しました。彼女は「うん」と言った。それで私がベイリーを連れて行ったら、彼女はこれまでが嘘みたいに落ち着いて、泣かずに採血ができたのです。このようなエピソードが病院に広まり、他の病棟からも「うちにも来て」と声が掛かるようになりました。
石井採血のエピソードを聞くと、ファシリティドッグと子どもの関係性について考えずにはいられません。採血より痛みを伴う検査として、先ほど少し話に出た骨髄検査があります。これは血液の病気の検査の一つで、腰の骨などに針を刺して骨髄を採取する。針が太く痛く、一定の時間じっとしていなければならないので、患者さんに大きな苦痛を伴うことでも知られています。子どもの場合は薬で眠ってから行いますが、それでも検査に対する恐怖心があるため、眠るまでファシリティドッグが付き添うと安心して検査に臨めるという話しも聞きました。中には、中学生くらいのお子さんだとファシリティドッグが付き添えば眠る薬を使わず、覚醒したまま検査できる子もいるそうですね。ファシリティドッグと子どもの結びつきとはどういうものだと思っていますか。
森田両者の間には特別な関係性があるのは事実ですが、それをはっきりと言語化することは難しいですし、無理やり何かの定義に当てはめる必要もないと思っています。子どもによっても異なるでしょう。
目に見えることで言えるのは、子どもの年齢によってファシリティドッグに求める内容が異なってくる点です。3歳~5歳くらいの未就学児にとっては一緒に遊ぶ“お友達”のような存在です。似たような近しい存在として病棟の保育士さんがいますが、彼らは「人間の大人」であり、年齢的にも離れた目上の相手ということがはっきりしていると思います。でも、ファシリティドッグはそもそも人間ではないので、その点がユニークで強みになります。子どもたちにとってはより近い相手、人間ではないけれど友達感覚の存在として付き合えるのではないでしょうか。 他方、小学校の高学年以降になると、単なる遊び相手だけでなく、一緒に遊びながら信頼関係を築きます。リハビリや手術の付き添いをして、自分に力を貸してくれる、頼れる存在のようになってきます。
石井共に病気と闘った仲間みたいなイメージでしょうか。ちなみに、男の子と女の子とでファシリティドッグに求めるものが違うということはありますか。
森田性別ではあまり感じません。たとえば、少し前に小学4年で入院してきた小児がんの男の子がいました。彼はとにかくアニーのことが大好きで、毎日のように会いたいと言って、検査の時も、リハビリの時も、ずっとアニーに付き添ってほしいと。そのお子さんは、『アニーがいてくれるからがんばれる!』と話していましたね。
この子は何度も入退院をくり返していましたが、再入院の時ってやっぱりつらいんです。検査や治療はもちろん、この先どうなるかもわからないので不安です。でも、『アニーに会えるからいいや』と言っていました。アニーの存在が闘病の気持ちを前向きにしていたんだと思います。 彼は、病状の悪化とともに、動くことが難しくなってきてしまいました。それでもアニーが来れば、何とか起き上がろうとしたし、プレイルームにアニーがいると聞けば会いに来ました。それくらい大切な存在だったんです。こういうのは、男の子も女の子も同じですね。
石井子ども病院では治療の甲斐なく命を落としてしまう方も少なからずいらっしゃいます。神奈川県立こども医療センターも同様でしょう。ここでは、終末期の子どものための緩和ケアチームの一員としてファシリティドッグが入っていると聞きましたが、そこではどのような役割を担っているのでしょうか。
森田週に1度、緩和ケアのカンファレンスが開かれ、医師や看護師など医療者が一堂に会するのですが、そこに私とファシリティドッグも参加するのです。カンファレンスでは、子どもの緩和ケアをどうするかが話し合われます。「犬を飼っていて大好きだそうなので、会いに行ってあげてください」などの情報をもらうと、私は緩和ケアの一環としてその子のもとへ向かうようにします。逆に、この時、緩和ケアチームが介入している患者さんと関わった時の様子の情報を提供することもあります。
石井どのような子が終末期にファシリティドッグを求めるのでしょうか。
森田大抵の子どもは、入院初期の段階から少しずつファシリティドッグと仲良くなっていき、その時々の病状に合わせた役割を求めます。出会ったばかりの頃は「一緒に遊ぼう」みたいな感覚で会って、そこからだんだんと「治療に付き添って」とか「リハビリを一緒にやりたい」と言いだすようになる。そうやってだんだんと両者の結びつきが太くなっていくんです。
ターミナル(終末期)で、ファシリティドッグを求めるのは、こういうプロセスをたどってきた子たちが主です。これまでの関係があるからこそ、起き上がれなくても「顔を見たい」とか「一緒に寝てほしい」と言う。あるいは、これまでずっとわが子がファシリティドッグと仲良くしていたのを見てきた親御さんが、「最期に会わせてあげたい」と希望されることもあります。
石井反対に終末期だけファシリティドッグを求める方はいらっしゃるんですか。
森田稀ですが、います。小児がんで入院してきた高校生の男の子がいました。もともとは犬があまり好きじゃなかったらしく、特段関わろうとしませんでした。私の方もそれをわかっていたので、あえて近づけることはしなかった。
その子が終末期に入って少し経った頃だったでしょうか。急に看護師さんが私のところに来て、あの子がファシリティドッグに会いたがっているから行ってあげてくれないかと言われたんです。
この時、私のもとにいたのがファシリティドッグを目指してトレーニング中だった候補犬のトミーでした。どうしたのかな、と思ってトミーを連れて病室へ行ってみると、その子はもうあまり動けなくなっていましたが、トミーを見るとすごくかわいがり、また来てほしいと言うのです。
石井トミーは、当時まだ1歳半の雄の候補犬ですね。
森田そう。トミーは人が大好きで若いこともあってなかなか積極的な性格なんです。自分からグイグイ行って「好きだよ」ってアピールするタイプ。それが男の子にとって良かったみたいです。あとで心理士さんと話をしていたら、こうおっしゃっていました。
「あの男の子は病状が悪くなり、すごく不安で人恋しくなっているんだと思います。だから、トミーみたいに自分のことを全身で求めてくれる相手、無条件で寄り添ってくれる相手がほしくなったんじゃないでしょうか」
高校生が終末期を迎えれば、病状が明らかに悪化していることを察しますし、そのことに深い孤独を感じます。ただ、年齢的なこともあって看護師や親に甘えることもしにくい。そういう背景があってトミーを求めたのかもしれません。
石井高校生くらいだと、思春期で誰かに傍にいてもらいたいと甘えにくい部分もあるでしょうから、動物にいてもらうと気持ち的に感情表現もしやすいということもあるかもしれませんね。
森田そもそも終末期の子どもは体力が衰えたり、苦しかったりして思うように会話をすることができません。たとえ寂しさから誰かに傍にいてほしいと思って、家族や看護師に来てもらっても、声を発すること自体がつらくてできないといったことが珍しくありません。この時、年頃の子どもなら、沈黙が続くことを気まずいと感じたり、申し訳ないという罪悪感を抱いたりすることがあるだろうと感じます。
なお医療者側の視点では、終末期にある子どもの親が最も望む支援策として「病室への毎日の面会と子どもとの会話(90.2%)」が研究で報告されています。一方で、緩和ケアチームの医療者を対象とした別の調査では「悪い知らせを聞いた後、声の掛け方が難しい」が一番困難として挙げられ、現場の医療者にとっても、とてもジレンマを抱える課題であることが伺えます。
その点、犬だと違うのかもしれません。犬はもともと言葉を話さないので、黙って一緒にいるだけで全然かまわないのです。傍に寄り添ってもらっているだけで十分なわけですから。犬と共に関わるハンドラーの私も、犬と一緒だからこそ病室を訪ねやすいですし、周りの医療者にとっても、終末期の子どもに関わる気持ち的な負担が軽減されればと思っています。こうしたことから、幼い子は寂しい時に大人を呼ぶことがほとんどですが、年頃の子どもだとファシリティドッグに会いたがることが結構あるのです。
石井今日、一緒に病棟を回らせていただいて、子どもだけでなく、親がファシリティドッグを求めている側面もあるんだろうなと感じました。
ある母親は子どものベッドサイドにすわっていましたが、まったく会話がなかった。親子の間になんとなく息苦しい沈黙みたいなものがありましたが、オリが来た途端、母親の顔がパッと明るくなった。「こっち、こっち」とオリを導き入れると、急に会話が弾むようになりました。
特に終末期の子どもを持つ親となると、子どもとどう向き合っていいのかわからなくなるといったことがあります。そんな時、ファシリティドッグが間に入ると、親子関係の潤滑油になることもあるんじゃないかと思うのですが?
森田それは当てはまると思います。少し前も、1歳未満の女の子が入院してきました。幼い彼女には、年齢的に犬を認識するのは難しいですし、アニーのことがよくわかっていなかったと思います。
でも、この子のお母さんの方がアニーに会うのを心待ちにしていたんです。アニーがいることで女の子に言葉を掛けやすくなるからです。
終末期に入った別のお子さんの時もそうでした。親族でベッドを囲んで見守っていたのですが、そこにアニーが呼ばれ、添い寝することになりました。お母さんがそうしてあげてほしいと求めたんです。
数時間後、彼女は亡くなりました。後日、そのお母さんから手紙が届きました。そこにはこう書かれていました。
〈あの時、アニーがいなければ、私は娘を涙で天国に送り出すところでした。それをせずに済んだことを、アニーに感謝します〉
難病の子を持つ親御さんは、多かれ少なかれ、自分のことを責めがちです。自分のせいでこの子は病気になってしまった、病気を早期発見してあげられなかった、悲しんでいるところを見せてつらい思いをさせてしまった……。
でも、ファシリティドッグがいることで、そのように自責の念を抱くことが少なくなったり、このお母さんのように別の見方で子どもの最期を受け止めたりできる。その点、お子さんを看取らなければならない親御さんのためのグリーフケアとしても、必要な存在だったのかなと思います。
石井子どもの難病の治療は、“親子一緒の闘い”と言っても過言ではありません。そういう意味では、ファシリティドッグは子どもだけでなく、親子ともに支えているんでしょうね。
ちなみに、こども病院で働いていれば、年間にそれなりの数の子どもを看取ることになります。ファシリティドッグは、人間の死とか、終末期とか、そういったことを認識しているのでしょうか。
森田何かしらのことは感じていると思いますが、それが人間の持つ死の概念とイコールかどうかは何とも言えません。いつもは明るくしゃべっている子が一言も発しなくなったとか、昨日までいた子がベッドからいなくなったという認識かもしれない。
ただ、ファシリティドッグにとっても、臨床のエモーショナルな場に立ち会うことは、しかるべき心身への影響がある前提で、ハンドラーが気をつけなければならない点です。それだけ人々の気持ちを汲み取って、緊張感をもって行動しなければならないわけですから。
ハンドラーの仕事の中には、ファシリティドッグにストレスを与えず、心を健康にすることも含まれています。なので、子どもが泣き叫ぶとか、死別に立ち会うといったことがあった時は、その日の他の病棟業務を短く切り上げたり、その後に気分転換できるように外へ連れて行って楽しく遊ばせるなど、必ずポジティブな形で一日を終わらせるようにしています。エモーショナルな状況に立ち会った影響を引きずらせずに、それを何かしらの方法で解き放っておくことが、ファシリティドッグの心身の健やかなさを維持するために不可欠だと思っています。
石井現在の医療現場では、看護の担い手不足は大きな課題になっています。特に地方の医療機関では深刻で、一部をロボットやAIに任せようという動きが顕著になってきている。福祉の現場なんかは一足先にそれが進んでいて、研究者からも犬型ロボットとの触れ合いが効果的だといった論文が出されています。
そこで焦点になりそうなのが、ファシリティドッグとロボットの違いです。意地の悪い質問になりますが、ファシリティドッグの要請から維持費用までを考えれば、ロボットで代用した方がいいのではないかと考える人も出てくるでしょう。そういう問いに、森田さんならどのように回答しますか。
森田ファシリティドッグとロボットの違いが何なのかを明確に言い切るのは難しいです。ただ以前、犬のセンシング能力を研究されているロボット工学の研究者らとお話しした際に、ロボットで再現できるほど犬の能力の全容はまだ解明が進んでいないこと、そして仮に進んだとしても、犬の方が特段優れている部分がある点は変わらないだろうと伺いました。ですので、その場でも「犬とロボット、それぞれが得意な領域を分担して、より多くの方にアプローチできることを目指す」のが良いかもしれないと話していました。
また、ある病院の看護師さんからは別の興味深い話を聞いたことがあります。精神科病棟で、髭のついた動物型ロボットを導入したことがあったそうです。すると、患者さんがロボットの髭を切ったり、ちぎったりしてしまった。しかし、本物の犬を連れてきた時には、患者さんは誰一人としてそういうことをしなかったということでした。そこにロボットと犬の違いがあるように思います。
石井似たような話を聞いたことがあります。精神科の入院病棟にロボットを置くとすぐに誰かが壊してしまうけど、動物に対して暴力を振るう人はいないという。
森田私もロボットとの比較ではないのですが、近い経験があります。私はファシリティドッグといつも一緒にいるので、アニーやオリがいないときの子どもの様子を知らないのですが、こころの診療病棟でいつも訪問しているお子さんのカルテを見ると「大きな声を出したり乱暴な振る舞いがある」と記載されていました。私はその子の、そのような姿を一度も見たことがありません。
先日も、イライラしてしまう気持ちをコントロールするために入院している患者さんの部屋を訪問した時、「アニー、ちょっと待ってね」と壁のほうを向き、気持ちを落ち着かせようとしている場面を見ました。自分がいら立っている姿をアニーには見せたくなかったのだと思います。
石井なんとなくわかる気がします。人間は同じ人間やロボットには自分勝手に振る舞えるけど、犬にはそれをやってはいけないといった線引きのようなものがありますよね。
森田たぶん、それが人間と犬との関係を特別にしているんだと思います。逆に言えば、それがあるからこそ、ファシリティドッグを、ロボットや人間に置き換えるのは簡単ではないと言えるのではないでしょうか。
石井シャイン・オン・キッズの事務局長さんと話した際、ここ数年で全国の病院からのファシリティドッグに関する問い合わせが増えていると聞きました。いくつかファシリティドッグの導入を真剣に検討しているところもあるようです。
森田日本の小児がん拠点の旗艦病院である国立成育医療研究センターが正式に採用してくれたことが大きかったと思います。それ以前からメディアにもちょくちょく取り上げられていましたが、コロナ禍でもファシリティドッグの活動が続いていたこと、そしてコロナ禍で国立成育医療研究センターが導入したなら、という安心感が後押しになって、検討してくれているのではないでしょうか。
こうしたことを受けて、うちの団体ではファシリティドッグの育成をはじめています。これまではハワイの育成団体で育成した犬を譲り受け、日本の病院へ派遣していたのですが、今後は私たちで育成し、国内で完結できるようにしようとしているのです。
石井犬そのものは海外から輸入するにせよ、国内で育成できれば、ここ数年で一気に広まる可能性も高まるのでしょうか。
森田可能性としてはありますが、普及には課題もあります。一つがファシリティドッグと病院のニーズがマッチするかどうか。もう一つが予算の問題をクリアできるかどうかです。
まず、病院によってファシリティドッグのニーズ、つまりどのように活用したいかが違ってきます。たとえばリハビリの中で利用したい場合と、検査や治療の付き添いで利用したい場合とでは、ファシリティドッグに求められる内容が別物になる。
ファシリティドッグとして育成した犬は、一定のレベルの能力を備えていますが、一頭ずつ固有の性格がありますし、得意不得意もあります。活動的な犬ならリハビリには合っているでしょうし、大人しい犬なら治療や検査の付き添いに合っているでしょう。
病院のニーズと、ファシリティドッグのタイプが一致していなければ、双方にとって良い結果になりません。なので、病院側が何を求めているのかをしっかりと把握した上で、ファシリティドッグの特性がそれと合致していなければ、導入に踏み切ることは難しいのです。
石井同じことはハンドラーの側にも当てはまりそうですね。ハンドラーといっても、看護師時代の経験も異なれば、タイプや理想も異なる。ファシリティドッグとの相性もあるかもしれません。
二つ目の予算の問題とはどういうことですか。
森田病院がファシリティドッグを受け入れようとすれば、初期費用から維持費までそれなりの金額が必要になります。ファシリティドッグの育成は一頭につき約800万円。病院で採用した後は、直接経費のみで1年目で約1500万円、2年目以降は約1千万円が毎年かかってきます。この中にはハンドラーの人件費からファシリティドッグの生活費、その他の諸経費が含まれます。
今まではファシリティドッグをより全国の病院に普及するために、うちの団体と病院で費用を捻出してきましたが、一民間団体が集められる寄付金には限界があります。少しずつ病院に費用負担を協力いただけるようになってきましたが、そうしたことができる病院は決して多いわけではありません。
石井小児科は経営が厳しいばかりか、ファシリティドッグの採用に当たって国が補助金等を出してくれるわけではありません。実質的に病院側の持ち出しとなるので、必要だと思っていても、踏み切ることができるところは限られているでしょうね。
ちなみに、アメリカではファシリティドッグが普及していると聞きましたが、日本とは金銭的な面で仕組みが違うのでしょうか。
森田アメリカでは、病院の職員がハンドラーの訓練を受けて、その役割を担います。CLS(チャイルド・ライフ・スペシャリスト)、OT(作業療法士)、それに心理士といった職員が、ファシリティドッグの育成団体で専門的な研修を受けて、それぞれの分野でファシリティドッグを活かすのです。だから、病院にしてみれば、ハンドラーの人件費が大きな額にはなりません。そのため、病院によっては、何頭ものファシリティドッグチームを抱えているほどです。
石井日本でそれをするのは難しいのでしょうか。
森田国民皆保険制度の日本と、そうでないアメリカの違いは前提として大きいですが、例えば日本の病院は一人の患者に対する医療スタッフ数がアメリカに比べて少ないため、作業療法士や心理士なども含め、医療従事者の方々がハンドラーというもう一つの役割を担うのはハードルが高いのかもしれません。それにハンドラーは犬と一緒に暮らすので、住居もある程度広くなければなりませんし、車での移動も伴います。家族の理解も必要になってくる。そう考えると、なかなかゴールデンレトリーバーくらい大きな犬と暮らしながら、二つの業務を行うのは大きな覚悟が要るのかなと思います。
石井ファシリティドッグ第一号のベイリーは2018年に引退しています。ファシリティドッグとしての活動できる期間はどれくらいあるのでしょうか。
森田犬種毎に調査した研究から、11.1歳や13.1歳が平均寿命として報告されています。私たちの団体では、犬それぞれの個性や体力も見ながら、10歳を目安に引退を検討するようにしています。2歳くらいまでは訓練に費やすので、実質的なファシリティドッグの稼動期間としては7、8年かなと思います。
ベイリーの場合は、10歳で引退し、2年間はゆっくりとしてもらい、13歳を目前に天国に旅立ちました。8年の期間でしたが、その間に二つの病院でのべ2万人以上の子どもを支えてくれました。
石井2万人の子どもの闘病生活を支えたのですね。そう考えると、ファシリティドッグの尊さを改めて感じます。この活動が、ファシリティドッグを必要とする子どもたちに一人でも多く届くことを願っています。